頑張りすぎる「お父さん」。



今日は心理学応用講座9回目で、防衛規制について学んだ。防衛規制とは、外敵世界で、心理的に受け入れられないようなことが起こったときに、それらを無意識に追いやってその不安や心理的な苦痛から身を守る(心の安定をはかる)ための心の保護機能のことだ。


例えば、隔離(出来事や考えと気持ちを切り離すような行動をする)、合理化(自分のとった行動の本当の動機を自覚せずに、論理的な一貫性があり道徳的に受け入れられるような説明をつけ、自分の自分の望んだ言動を正当化しようとする無意識な心の動き)など。

まだ、防衛の種類はたくさんあるが、これらは、会社で社員が生き残るために身につけていくことだなと思った。しかしこんなことを何年も何十年も続けていったら、本当の自分がなんだか分からなくなっていくのではないか。


今、父がパーキンソン病を患い、家族が介護に奮闘している。最初にその症状が出たとき、医者が母にこう言ったそうだ。 「真面目で責任感が強い人でしょう。そういう人に多い病気です」

私たちは身の回りで起こる全てのことを管理しコントロールすることはできない。しかし完璧主義の人は自己犠牲的に遂行し、周囲に信頼されて出世していく。父もそのような会社員だった。

最近の会社員はSNSで自分のページを持つことも許されていない(法律で許されている表現の自由が得られない)ということを聞いた。社員の書き込みがその会社の営業成績に及ぼす可能性があるため、禁止しているところが多いそうだ。SNSに大変恩恵を受けている私はこのことをとても遺憾に思って、ある日、母に電話したときに、その話をしてみたら、こんな回答がかえってきた。

「そうよ。お金を払っている方が偉いのよ。社員にお金を払っているのは会社だから、会社の方が偉いに決まってんでしょ。会社の言うことは聞かなくちゃダメなのよ!あんた、もっと一般の人たちのこと知った方がいいわよ。ばかねえ」

胸がしぼられるような思いだった。そういえば学生の頃、「我が家では、父が一番お金を稼いでいるのだから、父が一番偉い。父に従わないなら家を出ていけ」と言われたことがあった。ただ未成年ということで、私の人権を踏みにじられたことと、世の中がそんな価値観で回っていること自体に脅威と激しい憤りを覚えたことを思い出した。


大人になったのでそんな価値観は間違っていると思えるようになったけど、いまだにその変な価値観を現実として受け止めて、諦めたように人生の大半を浪費してしまっている人は多いのだろう。

そして定年過ぎて家で過ごすようになっても、会社員時代に身につけた性格の鎧を脱ぐことができずに、周囲に威張り散らして家族や近所から嫌われている老人は多い。

なんぜそんなふうになっていくのだろうか。それは大半の男性が、「たくさんお金を稼いで家族を幸せにしたい」という願いを持っているからだろう。パートナーの女性は、本心では、そのようなことは望んでないかもしれない。しかし奮闘中の男性は、それに気づかない。まるで何かに憑かれたように働き続ける。

結婚当初二人が誓った幸せの定義も、それぞれの置かれた環境で生き抜いていくうちに、何度も違う自分に出会い、慄き、目覚めて変わっていく。いわば脱皮しながら私たちは生きている。そしてお互いが求める愛や幸せの価値観も確かめないまま、すれ違っていく。

私たちがいつでも「自己」の手綱をしっかり握って生きていたら。。。1日のどこかで夫婦は、外的な役割を脱いで男と女のして向き合うことができるのかもしれないが、そんなゆとりのある時間を持つことができない。少なくとも今の日本では。

これから時代は変わっていくだろうと思う。今、日本の社会で、これほどまでに不倫の記事が多くの人々を騒がせているということは、誰もが過去に定めたルールに首を締められてもがいているからだ。これからは男と女のあり方は変わっていく。そして家庭や仕事のあり方、愛や人生の定義も変わっていくだろう。

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