日常のオアシス。


春の桜も見ないうちに、ツツジが咲き、緑は濃くなり、夏の足音も聞こえてきた。時が過ぎるのはなんて早いのだろう。

ここ3ヶ月の世の中の移り変わり様は激しかった。多くの人が不安と恐怖に慄き、予期しない情勢の波に巻き込まれ、社会が荒れ狂い、日常は一変してしまった。


今日も私は自転車で緑のアーチの中を通った。そよ風が頬を撫でていく。脇道に咲く白い紫陽花。毎年変わらない爽やかな季節。 私はコロナの騒動の間も出勤していたので、多少の体力の低下はあっても、さほどの変化はない。でも、テレワークと臨時休校で引きこもり気味だった夫と娘は、体力も気力も大きく低下している。これから前の日常にも取るにはかなりの労力がいるだろう。


人生は、「人」の「生」と書く。

「生きる」とは楽しいことかりではない。誰もが、課せられた重荷を背負って、目指すべき場所へ向かっている。疲れてやる気のない時もあるけれど、誰かに甘えたり、抱きしめて慰めてもらいたい時もあるけれど、最終的に、重荷をしかるべき場所へ運ぶのは自分なのだ。でも、それだけが目的だったら、背負うものはどんどん重く感じていくのではないだろうか。


人生は、楽しい方がいいに決まってる。


コロナのための自粛期間中は、家族全員が家にいたので、夕食の後にお茶の時間をとった。テレビを見ながら、コロナ騒動に対応するいろんな国のことを話したり、頑張っている政府や医療関係の人たちを称えたり、今後の日本経済を立て直すことへの不安を吐露したり、溜まってしまった勉強の愚痴を言ったりしては、励ましたり、嗜めたりして、それぞれの部屋に帰っていく。


何気ない話をする時は、心が潤う。

朝起きたら、「おはよう」。家に帰ってきたら「お帰りなさい」「お疲れ様」「ご飯できているよ」。学校や仕事に行く時は「がんばってね」。


こんな些細な言葉すら言う気力がない時もあるけれど、ちょっとした気遣いや勇気を出すことで、人を元気にすることができる。

明日自殺しようとしていた人や、犯罪を犯そうとしていた人を、止めることもできる。

私たちの殺伐な生活の中にも、ちょっとした気遣いを入れることで、オアシスを作ることができるんだ。


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