愛とは成長を許すこと。


世の中で不倫した人がメディアで叩かれている。心が他のものに行ってしまうことが罪なら、何も婚外恋愛に限ったことではないのではないか。例えば、家庭を忘れて仕事にや趣味に没頭してしまうのだって、不倫と同じものではないか。なぜ婚外恋愛だけが叩かれるのだろう。

心理学者やカウンセラーは、心の危うい動きが惨事を起こしてしまうことを知っている。ちょうど思春期の子供が遊びで羽目を外すのを大人が必死で阻止するように。

一般に「大人の恋愛」と呼ばれるのものは、逃避目的が多いことは知っている。だけど、少なくとも私は、人との出会い、交流(恋愛も含む)は、魂の経験だと思っている。相手を思い、行動して、たとえ傷つくことがあっても、それは心の糧となって、人生に豊かさを与えてくれるだろう。良い人間関係を築くことができれば、新しい価値あるものを創造することもできる。 カウンセラーの女性に不倫の話をすると、大抵は良い反応を示さない。いくら知識や技術を持った人でも、恋愛経験値を積んだ人でないと、なかなか理解できないものなんだろうな。

心は純粋であればあるほど、感じやすく、動きやすいものなのだ。しかし何かを「感じられる」ということは、幸福なことだと思う。

人は全力で心を傾けて奮闘しないと解らないことがある。恋愛だけでなく、仕事や趣味、芸術も同じだ。

もし既婚者が不幸にも恋をしてしまったなら、その時、その人に、必要な出会いだったからだと思う。互いに必要とする者同士で体験したことは、たとえ傷つくことがあったとしても、終わった後に虚無感に襲われたとしても、一度更地になった場所に新しい命が芽吹くように、新しい生き方をその人に与え、成長させてくれる。

私は成長し続けることが幸福の源だと思う。夫が仕事にのめり込んだことも、私がSNSにのめり込んだことも、成長過程で必要だった。ツインソウルと呼ばれるような関係であっても、それぞれの成長のプログラムを持っているのだ。 魂の成長過程で、引き離されたり、取り残されたりしても、相手の心を感じる力があれば、またつながり合える。その時は、今までの苦い感情や、相手の経験と成長を許すこと。それが愛なんだと思う。 しかし。

今ここで私が言ったこと。これはまだ、簡単には、社会的には認められないだろう。

多くの人は家庭がライフラインで、恋愛によってそれが壊れるケースが多いからだ。だから、不倫を奨励するようなことを言ったり、実際にそれをするような人がいると、世間は危険を回避するように、袋叩きにするんだろうなと思う。

近年不倫の記事が世の中に多く報道され話題になるのは、それだけ多くの人が古い慣習の縛りに悩み苦しんでいるからだと私は見ている。いろんなインフルエンサーが不倫について言及しているが、心理学者やスピリチュアリストたちの意見を聞いていると、世の中の反応を気にして使い古しの正義を振りかざしているように感じてしまう。まあ、多くの人の心を支え導いている人たちだから、責任の重さは理解するけれど。

どちらかというと私はホリエモンのような先進性のある起業家たちの言っていることの方が真っ当な気がしている。彼らはちゃんと、これからの時代を見据えて、新しい生き方を提案している。嫌われ覚悟で、彼らは彼らの信念を貫いている。潔い、と思う。



写真:メキシコの女流画家 フリーダ・カーロ



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