恋愛女子とオタク女子


今日はバレンタインデー。

中学生の娘は先週の土日にせっせとミニチョコを作っていた。ハート型のマシュマロにパステルカラーのチョコレートで飾りをつけ、可愛い小さな袋に入れる。実に女らしいミニギフトだ。

「男の子にあげるの?」と聞いたら、首を横に振っていた。「こんなに可愛いチョコレート作ったんだから男の子にあげればいいのに、きっとウケると思うよ」というと、「だって恥ずかしいもん」という。そして明日も明後日も同性の友人たちに配りにいくのだそうだ。

最近はバレンタインチョコは好きな人にあげるものでもないらしい。男の子の側ではドキドキの1日ではないだろうか。私たちが学生の頃は好きな人にどのようにチョコをあげるかで、再三戦略を経てていた。男の子の側は、女の子からもらったチョコレートの数を競っている子もいた。バレンタインデーとはいわば、男と女の勝負の日と言っても過言ではなかったが、今はどうなのだろうか。

そういえば私が学生の頃は、バレンタインにチョコレートをあげたという経験があまりない。そういう機会がなかった、と言ってしまえば惨めだが、私は本当に周りの男子に興味がなかった。当時の私は2次元のイケメンキャラクターに夢中で、3次元の男には、あまり親近感を持てなかった。 しかし自分で言うのはなんだが、私は周りからは結構注目されていたのかもしれない。時々、名前も知らない男の子から手紙をもらったり、告白されたりしたのだが、あまり知らない人なので申し訳ないがお断りするばかりの日々だった。

私だって、恋をしたくなかったわけではなくて、機会があればと、恋愛への淡い思いはあったのだけど、恋のお手本がアニメの世界だったので、なかなかリアルな恋愛には巡り会えなかった。

そんな私の傍で、ガンガン男の子と付き合って、相手をコロコロ変えながら女子力をアップしていくたくましい女子たちがいた。今風な言い方をすれば「肉食女子」である。日頃から女子の会議で男子の品定めをし、狙いをつけて落す、というような恋の狩猟テクニックを磨いていた。

今も、きっと、そのような恋愛体質女子はいるのだろう。そして私のようなオタク女子もたくさんいるのかもしれない。オタク女子とは、私のようなアニメ女子、だけではなく、ピアノ女子、スポーツ女子、勉強女子など、恋愛ではなく他のことにエネルギーを注ぎ込んでいる類の女子も含まれる。

この2タイプは少女時代に全く異なる体験を積んでおり、高校ぐらいになると、世界観が全く異なってくる。

16歳の頃、私は美術系の高校に進学し、アニメ女子から美術女子へと進化していた。美術の予備校にも通っており、毎日先生に作品をけなされて涙と探求の日々を送っていた。

当時私の在籍していた美術のクラスは、美術女子ばかりではなかった。なにせ花の16歳(古い言葉?)、美術才能も持ち合わせた恋愛肉食女子もたくさんいて、彼女たちから見ると、私は宇宙人のような存在だったらしい。

ある日のこと、私は男の子から告白を受けた。あまり知らない男の子だったが、私はそろそろリアル恋愛に進化したくて受け入れることにした。しかし話してみて、あまり興味がわかなかったので、3週間で別れを告げた。

何故かその出来事が、クラスの女子の中で噂になっていたらしい。ボス的存在の女子が私に突っかかってきた。「なんで別れたの??」

私は話してみたけど興味がわかなかったこと、これから美大受験もあるし、あまり恋愛に夢中になってもいられないことを話したら、彼女はすっかり怒っていた。「なんでそう言うことするの!あんたって子供よ!!」と激しく詰られた。

彼女はいつも女子の仲間と屯していた。親や彼氏とうまくいかないこともあったようでいつも悩ましい恋愛話をしていた。大人っぽい美人女子だったが、私が彼女たちの遊びに加わらないことや、男の子たちの誘いに乗らないことが気に入らないらしく、いちいち文句を言ってきて、彼女と同じクラスだった2年間は非常に迷惑だった。

もう大人になったからわかるのだが、恋愛女子たちは、オタク女子に比べて、寂しがりだ。だから人を求め、拒絶されると傷つく。そして人と触れ合う経験を重ねて、優しさや思いやり、共感力を身につけていく。

私たちオタク女子は、寂しがりどころか、人を疎ましく思うタイプが多い。人間関係に患って時間を無駄にするなら、もっと価値あることにエネルギーを投入し昇華したいと考える。特に10代のエネルギーが増大する時期は、持っている性格傾向ではっきり分かれる。人間観、世界観、人生傾向も、彼女たちとは真逆な方向へ向かう。

しかし女性というものは、どんなに生き方が多様化しても、人に共感したり、育てたりして感動を得るのは変わらない。オタク女子だった人もその後の人生で素晴らしい恋愛や人間的経験を得る人はいるし、恋愛女子は結婚して妻となり母となって、情愛深さを増していく。

女性の体の奥底に流れる地下水脈はあまり違いはないように思う。

大人の女になるということは、この地下水脈を感じることだ。言葉や思考、社会的通念から解放された自由な感性。醜いものも美しいものも、その地下水脈には流れており、それらを自然体の自分として慈しむこと。それができるようになって、初めて本当の愛や優しさがわかるようになるのかもしれない。


絵:マリー・ローランサン 「歌」リトグラフ 1945年

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