当たり前だと思っていたこと。

昔ある村に、夫婦と夫の母親、1歳になる息子が暮らしていた。
畑仕事に出ていた嫁が昼食を食べに家に戻ると、
認知症の姑が鶏肉入りのおかゆを炊いてくれていた。
ありがたいと思って窯のふたを開けてみると、
中には塢ではなく息子が入っていた。
老いた姑が、鶏と孫を間違えて釜に入れてしまったのだ。
嫁は心を落ち着けて、鶏をさばき、
姑におかゆをつくると、死んだ我が子を裏山に埋めたのだった。
ワイドショーのネタにでもなりそうなこの猟奇事件は、
驚いたことに朝鮮王朝時代には、親孝行な嫁として称えられていた。
今としてはとても理解できないこの話が、
美談として伝えられた理由は何だろうか。
当時は個人の感情をできるだけ抑え、
「道理」という名の義務を果たすことが称賛された。
どんなに怒りがこみ上げてきても、和を乱さないために、
個人は犠牲にならなくてはならない。そんな時代だった。
私が子供のころにも、勤勉さと誠実さが奨励された。
雨が降ろうが、風が吹こうが、病気にかかろうが、けがをしようが、
休まずに学校に行けば皆勤賞をもらえたし、
黒板の上には「勤勉と誠実」と書かれた標語が掲げられていた。
何のために?
勤勉と誠実が最高の美徳だと教えられていたのは、
当時の韓国が製造業のさかんな国だったことが関係している。
製造業では、創造力や個性よりも、
勤勉と誠実という資質が求められた。
このような美談と美徳が教えられたせいで
子どもが釜で煮られて死んでも涙ひとつ流さない嫁は
冷徹な児童虐待の共犯者ではなく、しっかり者の孝行嫁になり、
高熱にうなされても登校する子どもは他の生徒の模範となり、
ソクラテスが「悪法も法だ」と言ったというデマが飛び交い、
イスラム国家では自由恋愛をしたという理由で
娘を殺すことが名誉になったりもする。
このように、社会が美徳として人々の心に植えつけた考え方は、
怪談を美談に、暴力を名誉に変えてしまう。
それにもかかわらず、
私たちは今も社会が共通にもつ美徳と考え方を
永遠の真理だと思い込んでいる。
でも、価値というのは本来、個人が決めること。
私たちの人生に本当に必要なのは
社会が勝手に決めた考え方なんかではなく、自分なりの信念だ。
(キム・スヒョン著 吉川南訳「私は私のままで生きることにした」より)