天の力、大地の力。


8月から始まった全6回恋愛心理分析講座もすでに4回まで終了した。

この講座は「恋愛心理分析」という名目になっているが、実際は、二人で構成される人間関係上で起こる問題を解析するという内容になっている。世の中で起こっているロマンスの多くが、相手を尊重し成長を祈るという健全なものではなく、お互いを束縛し、コントロールし、互いの人生の権利を奪い合っているという現実を分析し、どうしたら健全な関係に変えていけるかを考えていくのが講座の目的だ。


このような恋愛を当事者となるのは、共依存傾向のある人たちだ。彼らの幼少期の愛情の欠乏感を満たすために恋愛をしていることが原因としてある。一方は恋愛依存症者、もう一方は回避依存症者。前者は、恋愛に対し自己犠牲的で、期待を裏切られると、リストカットやストーキングなど過激で破滅的な行動に走る。後者は魅力的な容姿や能力によって相手を魅了し誘惑し、支配しようとする。相手から尊敬を得られると、途端に相手の束縛感を感じて、他のアディクション(中毒対象。例えば、仕事、趣味、恋愛とか)に逃げ出そうとする。程度に差はあるとはいえ、誰しもこの2つの性質は持ち合わせているらしい。


恋愛(もしくは他の人間関係)は、互いの感情を率直に伝え、理解し合うことで関係を深めていくことができるが、回避依存症者は自分の気持ちを伝えることに諦めてしまっているので、人間関係の壁を乗り超えることができない。

今多く報道されている不倫などを見ても、このような人がとても多いように思う。何度も恋愛や結婚を繰り返す人は、基本的に自分の本心を伝えて理解してもらうことができないので、壁を感じるたびに、その関係から別の関係へ逃走しているのだ。


私は、はて、と考える。自分の中で感じることを全てシェアリングできればいいのだが、それは本当に理解を深めることなのか。私はどちらかというと、回避傾向が強い。日々の些細なことが、良くも悪くも私自身のアンテナに引っかかってしまうし、他人の言葉や言動から裏心理を読み取ってしまう。「反応する」ということは、多分、私の深層心理の中に似たようなものが存在するからだろう。


私の深層心理には、私の知らない感情がたくさん眠っているように思う。新しい経験をした時、それは突然ヒョイと顔を出して、アメーバのようにいつまでも私の中に居座って、意識を朦朧とさせるのもあれば、マグマのように吹き出して大惨事を起こしそうになる時もある。こんな時に、私は容易に自分の気持ちを、人にシェアリングすることは危険だなと思う。唯一、それらを開放する手段があるとするなら、「芸術」だ。

私は自分の感性が捉えたものを、忘れないように記録したい。記録したものは経験として蓄積され、のちに新たな発見材料になり、次の未来への足場となる。いつもそうやって道を切り開いてきた。

毎回心理学の授業の後に、クラスメイトとのシェアリングの時間を設けられるのだけど、私の話したことは、よく人から「難しくてわからない」と言われる。私の鋭いアンテナが他人を混乱させるのは私自身も承知だ。だから、できるだけ聞く側にまわり、相手の発した言葉から、なるべく、相手の気づきになれるような言葉を選んで伝えるように努めている。でも正直に言うなら、私のアンテナが感じとったものを素直にシェアリングできる誰かに出会いたいとは思っているけれど。。。

多くの芸術家は、言葉で伝えきれないようなものを、絵や音楽、書物にして残してきた。当時はタブーとされてきたことでも、真・善・美を見出して、伝えようとしてきた。それらはのちに「人間の真実」であると認められ、今世まで伝えられてきた。

歴史の軌跡を考えても、自分の創りたい作品を創らなければ意味がないと思う。売れ筋、今の流行を気にして作品を創って、それがたくさん売れたとしても、いつか時代は過ぎ去り、新しい潮流が訪れるのだから。

話はそれたが、数日前、私は何人かの有名作家の作品を連続してFBにアップして、冒頭に「Power from the heaven(天からの力)」「Power from the earth(大地からの力)」というヘッドコピーをつけた。

「天からの力」。これはワンダーチャイルド(喜ぶ子供の心)が感じ取った革新的、楽観的、躍動的な感情である。対して、「大地からの力」は、インナーチャイルド(傷ついた子供の心)が感じ取った癒しの感情だ。(必ずしもネガティブなものではない)

日本では、美人画や花鳥風月の絵が人気だが、宗教を重視するインドなどでは古来から伝わる神々の肖像画が人気らしい。エンターテイメントが好きなアメリカではポップで衝撃的なものが好まれるように思う。何はともあれ、目には見えないものを感じ取って、それを色彩、形、音、言語によって増大させ、芸術として爆発させたものが、結果的に人々の生活に活力や気づき、癒しを与えられたなら、芸術の本分を全うできたのではないだろうか。

この長文を、最後まで読んでくださった方、少しでも私の感じたことを共有してくださった方に、心より感謝したい。



絵:加山又造 春秋波濤 1966年


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