スキンシップによる癒し


1日に数回、飼っていたウサギのポロンを思い出す。4年前に亡くなったポロンは、10年以上私の部屋で生活を共にしていた、姉妹のような存在だった。 ポロンは、騒々しい昼間は機嫌が悪いが、物音のなくなった夜はとても優しかった。私はポロンをゲージから出して抱きしめると、彼女の体温や毛皮の匂いが、私の皮膚を通って、身体中の血管に染み込んでいくようだった。

ポロンは抵抗しない。積極的に私の腕の中に入っていくわけではないが、「どうぞ」というように体を差し出すのだ。体を撫でると、目を細めて恍惚とするポロンを、今も忘れない。

寂しい時や悲しい時、私はいつもポロンを抱きしめて甘えていた。ポロンの体の匂いと体温を存分に味わうのは、この上ない癒しであり幸福だった。

私たちには体温がある。体中に張り巡らされた血管の中を血液は循環する。熱を放ちながら。絶え間なく血液を送り出すポンプのような心臓は、様々な環境に適応する私たちの生命力を発動しているみたいだ。


大の字に寝転がって、呼吸をし、体の隅々まで行き渡る力を感じていると、間違い無く「今、ここで生きている」という実感を持つ。今、この瞬間。

何のために人は体温を持つのだろう。何のために生命力を蓄えるのだろう。

体温をどこにも放熱できなでいると、寂しく、心細い気持ちになる。誰かを抱きしめた時、私の体に溜まっていた熱は、皮膚の境界を超えて相手の体に流れこみ、温めるだろう。同時に、その相手の肌から熱をもらうことができる。程よい温度の熱。それは、凝り固まった心をほぐし、自由な世界へ解き放つ。

ポロンが生きていた時、私はいつもポロンを抱いて、感情のシェアリングをしていた。ポロンは言葉を話さなかったけど、私の気持ちを解っていたんだろうな。だからポロンが死んだ時は、体の一部を失ってしまったようで、いつまでも喪失感が抜けなかった。

今も忘れることがない、ポロンの温もり。皮膚で温め合っていた時間と、心から癒された感覚。これからも私の宝物になるだろう。


絵:ラファエロ「小椅子の聖母」

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