アーティストとノン・アーティスト。


心理カウンセラー養成講座が今日から始まった。外出自粛中なので人が少ないかと思ったら、5〜6人かな。意外と多かった。メンバーは、女優、音楽関係、人材派遣会社の採用担当、保育士...そんなところだ。皆、コミュニケーション力は、そこそこありそうだ。

プレ講義で、「どこへ行っても自分でいられないのは、健常ではない」と言われた。

どこでも自分でいられて、平和な生活ができる人を健常者というなら、アーティストといわれる人達は皆、健常ではないということになる。日常から些細なことを感じとるアンテナがあるから、芸術作品を産むことができる。そういったアンテナは諸刃の剣で、斬新なアイデアを生むこともあれば、うつ病に追い込むこともある。

人材派遣会社の採用担当の人の話し方は、かえって威圧的に感じた。敬語がすらすら出てきて、判断に迷いがなく、はっきりと考えを示す話し方は、ビジネスの場面では信頼を得られるのかもしれない。

彼は私の斜め前の席で、いかにも「俺は理解できる」と先生にアピールするように、うん、うんと、うなづきながら授業を受けていた。

自信をアピールするのは、多分、野心家な人だ。夢を持って頑張るのは良いが、人を見下す心が少なからずあると思うのは、私の思い込みだろうか。

教室で先生が、「この教室では全ての人が対等です」と言った。それは本当に守られるのだろうか。少し心配になった。

ちゃんと自分でいられて、尚且つ自分を律するトレーニングをこれからするのだ。だけどそれが、私にはとても場違いな訓練に思えてきたのはなぜだろう。

「自分とは何か」を考えた時、私はやっぱりアーティストだと思う。最近特に、それを思い知らされる。会社でも、アーティストではない人たちとの違いを歴然と感じさせられるのは、他人との距離感だ。

そう簡単に、自分を変えられるものではない。しかし私は目の前のハードルを越えるためにここへ来た。なぜだろう。何のために。今更自分に問うことでもないが、私は自分を超えたいと、いつも思ってきた。それが無謀な挑戦であると知るためのものであっても。

テキストに書いてあった、これから道標になりそうな文章をここに記しておく。 「自分の内面で起きていることは、如何なることであっても否定はしない」

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